去年の今、誕生日を前にして最後のチャンスにするか、福岡にいる間までチャンスを狙うかという狭間にいました。
その時諦めていたら、今日という日はなかった。
家族が増えて初めての誕生日、本当に幸せだなって思えた瞬間でした。
タイムリミットで2人目を諦めるか…
いよいよ2人目を諦めるという選択をしなければならないと決めた年齢になり、本当に最後まで悩みました。
誕生日を前にして、医者からは「こんだけできなかったら、体外受精を勧めます!」と宣言され、「周期が長いから、良い卵子ではない。今期は諦めましょう」と言われました。
ここで諦めたら、自分で決めたタイムリミットになり、チャンスを失うことになります。
福岡にいる間は徒歩圏内の婦人科に通える。でも、関東に戻れば徒歩圏内には婦人科がないので電車で通うしかなくなり、通院継続は厳しい。そこで、福岡にいる間は治療を続けて、転勤で戻ることになったら諦める選択肢もありかなと。
色々どうするか悩みましたが、最後のチャンスで医者の指示を無視したら、自然妊娠。
もし医者の指示通りにしていたら、今娘を抱けていなかった。
結果の出ない治療が辛い
3年間通い、ずっと医者の指示通りにして、強い薬や注射に耐えてきました。
ホルモンに左右する薬や注射はキツくて、寝込んで体調不良になる事もしばしばありました。
それでも耐えてきたのは、2人目が欲しかったから。
でも、結果が出ない治療は精神的に本当に辛かった。
妊娠検査薬を使う時期になると、ソワソワして、陰性だと気分はドン底に。
こんな思いをどれだけ繰り返せば、妊娠するんだろう…って。
そして、1度妊娠して心音を聞いた後に流産した時は、本当に落ち込みました。
それ以降、本当に擦りもせず、ただ時間だけが過ぎていきました。
最後のチャンスも諦めかけていた
諦めると決めた誕生日の1週間前、妊娠検査薬で陰性でした。
2週間経ち、もし妊娠していれば少しは反応が出る状態だったので…。
でも、生理予定日になっても生理が来ない。
流石におかしいと思って再度妊娠検査薬を使ったら陽性反応。
病院の先生からは「医者要らず!」と言われ、週数が思いっきりズレていたので、出産予定日を決めるのにも頭抱えていました。
それに、常に小さいと言われ続けていたので、流産の事があり、最後まで気が抜けませんでした。
高齢出産ということもあり、出生前診断もやるか悩みました。
結局、初期胎児ドックで確率が低かったので、その結果を信じて血清マーカーはやりませんでした。
初期胎児ドックをしていただいた先生にも、週数で頭抱えていました…。
奇跡の子だから、大丈夫!を胸に。
流産するかもしれないという不安を抱えながら、この子は本当に奇跡的にできた子だから大丈夫。大丈夫。とずっと自分に言い聞かせていました。
妊娠ライフは常に気を使いましたが、ほとんど何も問題なく過ごすことができました。
唯一、ヤバいと思ったのは帝王切開の手術前に酸素吸入した時に調子を崩して、頭がスゥーっと意識が遠のき、機械音が鳴り響いたことでしょうか…。
その時、酸素吸入を辞めて、主治医の指示で呼吸を整えて、やっと意識が戻り始めました。
娘が家族の癒やしに。
COVID-19の影響で、息子と旦那は家に。
そんな中で、赤ちゃんを育てながら、息子の勉強を見るのは結構しんどくて、息子は旦那の仕事部屋で勉強しています。
なるべくなら側で、学校の勉強と家庭学習をさせたほうが良いのですが、中々厳しいです。
まだ深夜授乳が続き、娘のお世話がのし掛かって大変ですが、呼びかけるとニコニコさんの娘には家族全員が癒されています。
もう本当に可愛くて可愛くてしょうがない。
女の子なので、旦那も息子も物凄く可愛がっています。
去年は辛い状態でしたが、今年の誕生日は家族が増えて幸せいっぱいでした。
もう胸がいっぱいです。
つらい時期もあったけれど、今こうして娘が産まれて、腕に抱く事ができて、全部チャラになりました。
私の宝物たちを、これからも大事に育てていきたいと思います。